山中史郎(やまなかしろう)
1974年、函館生まれ大阪育ち。アートディレクター/デザイナー。京都芸術短期大学(現京都芸術大学)映像科卒業後、同校専攻科学士課程終了。ヌーヴェルヴァーグに影響を受け、フィルムメイカーを志すべく、1998年、単身パリへ。ポンピドゥー・センター裏のカフェで、「自国についてあまりにも知らな過ぎる」ことを痛感し、1年も経たずに帰国。2004年に、大阪・北摂にて、個人デザイン事務所「ハイカルチャー」を設立。2021年には、豊中・蛍池にシェアオフィス「Sono 」を立ち上げ、運営管理を行っている。特に好きなことは、掃除とお酒と阪神タイガースの応援。受賞歴に、グッドデザイン賞、日本タイポグラフィ年鑑、大阪クリエイティブアワード最優秀賞など。ZINE、月刊「左利きの女」発行人。昭和歌謡をサンプリングしてラップしたり、茶農家としても活動。FMラジオ岸和田「トランセル並木のザ☆夜のヒットテン」では、レギューメンバーとして、トークと番組編集を担当中。
ぼくは何をやっている人なのか。
さっきお会いした人も、お久しぶりの人も、偶然の人も、はじめまして。こんにちは。山中史郎です。まわりからは、「山中さん」だったり、「シロー君」だったり、「シローさん」だったり、あと「シロー」だったり。稀に「ふんどし」とか呼ばれています。

これまで、ベンチャーやスタートアップ、一次産業の生産者や中小企業、飲食店、クラフトメーカー、行政や自治体の地域プロジェクト、文化施設、NPOなど、規模も業種もまったく違う現場のクリエイティブに関わってきました。

立ち上げ期のブランド設計から、事業やブランドのリニューアルを軸に、商品企画、コピー、ネーミング、ロゴ、パッケージ、冊子の企画編集、写真、空間、プロダクト、グッズ、ウェブサイトの制作から運営まで。必要に応じて領域を横断しながら、そのブランドのらしさを一緒に形にしていく仕事を手掛けてきました。
目に見えるデザインだけではなく、コンセプトやストーリーの設計そのものから入るのも、僕の得意なスタイルのひとつです。
2021年には、豊中・蛍池にシェアオフィス「Sono」を立ち上げ、クライアントに関わるだけではなく、自分自身が事業者として店に立ち、売上をつくり、日々調整しながら運営を行っています。その現場に身を置く感覚もまた、ぼくにとってのデザインの一部となっています。
ものごとの仕組みや手触り、そして痛みも自分自身の体で確かめながら、その経験をクライアントワークにも自然と還元して、こうした活動はすべて地続きで、ひとつの仕事としてつながっています。
さて。最近よく、というか、きっと昔からそうだったのかもしれませんが、特にSNSが身近になったせいか、「山中さんって、何をやっている人なのかよくわからない」という声をチラホラいただきます。そのたびに、「まぁ、世間ってそんなもんよね」と思いながらも、心の中ではちょっとだけ「イヒヒヒヒー」とニヤけているんですよ。
そして、もうひとつ。このぼくのよくわからない感じを「ちゃんと伝えなきゃ」と、加速させたのがAIの存在です。僕自身、日々AIを使っていて、誰かの何かを代替している瞬間もたくさんあります。
そして、その逆だって当然あると思うんです。誰かがAIを使えば、ぼく自身の仕事や役割の一部が置き換わる。そんな時代に、ぼくたちは生きています。
だからこそ、こうした時代の変化の中で、あらためて「ぼくは何者なのか?」をもう一度問い直したくなり、ポートフォリオと合わせて、こうして自己紹介のようなページをつくってみることにしました。
ここから先は、「ぼくって、こんな人かもしれません」というキーワードをいくつか挙げながら、お話できればと思います。お時間がある方、よければこの先もどうぞ。
肩書きにとらわれない
生き方を知った20代。
執筆中です...。また覗きに来てください!